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執筆者の写真writer sannou.kaori

ライターとして、「人生の答え合わせ」ができた。

「ガイダンス」、いわゆるプロローグ的なものから、こんなに夢中になって読んだ本など他にない。

言葉を追うだけで、体の芯が熱くなって、ドキドキが止まらなかった。


ふと、これが「ライター向けの教科書」だということを忘れてしまう。

言葉のリズムが心地よくて、まるで好きな音楽でも聴いているかのようで。

好きな作家の小説みたいに、内容を追う以前に、その言葉にずっと触れていたかった。


古賀史健氏の『取材・執筆・推敲 書く人の教科書』は、私にとって、そんな本だった。





ライターとはなにか。

ガイダンスの最後を何度も何度も読んだ。

以下、深くうなずいた箇所を抜粋させていただく。



そもそもライターとは、からっぽの存在である。

だからこそライターは、取材する。

からっぽの自分を満たすべく、取材する。

自分と同じ場所に立つ読者に代わって、取材する。


取材したこと、調べたことをそのままに書くのがライターなのか?

違う。ぜったいに違う。


ライターとは「取材者」である。

そして取材者にとっての原稿とは、「返事」である。

取材者であるわれわれは、「返事としてのコンテンツ」をつくっている。



この感動的なガイダンスを終え、「取材」「執筆」「推敲」と、本論が始まっていく。


私はライターを生業にして25年目だが、「文章の書き方」のような本をこれまでに一冊も読んだことがなかった。(褒められた話じゃないが)

ずっとフリーランスだから、書き方はもちろん、取材のやり方、推敲の仕方も、きちんと先生や先輩について学んだことがない。


とはいえプロなので、好き勝手に文章を書いてきたわけではない。

いつも、まず「取材対象者」がいて、それから「クライアント」や「読者」がいて、共に作品を創り上げる「編集者(デスク、ディレクター)」や「デザイナー」「カメラマン」がいた。


だから、取材や執筆のノウハウなどなくても、それが正しいやり方かわからなくても、ただそれらの”関わる人がどうしたら喜んでくれるか”、ということを第一に考えて仕事をしてきた。


たとえば、取材対象者が「あんな支離滅裂な話を、こんなふうにまとめてくださってありがとうございます」と言ってくれるように。

クライアントが「またお願いします」「頼んでよかった」と言ってくれるように。

読者が「読みやすい」「わかりやすい」「面白かった」「感動した」と何らかの感想をくれるように。

編集者が「そうそう。こんなふうにしてほしかった」と思い描いていた通りのものを提出できるように。

一緒に仕事をするデザイナーやカメラマンが、それぞれの仕事をスムーズにこなせるように。


それを目的に、どうすればいいか考え、誠実であることを心掛け、試行錯誤しながらやってきた。結果的に、たどり着いた答えは間違っていなかったのだなと、この本を読んでそう思った。


とはいえ、私はしぶとく長くやってきただけで、決して名のあるライターではない。

せいぜい新聞や雑誌で記名入りの記事を書く程度で、「本」など一冊も書いたことがない。

いわば、世間的には三流ライターだ。

ただ、どんな小さな記事でも、どんな内容のものでも、決して手を抜いたことがない。

そして、必ず関わった誰かに喜ばれてきたという自負がある。

取材をして書くという、ライターという職業が好きで、気持ちだけはずっと一流のつもりでやってきた。


だから、本を読み進めながら、


「いつもそうしている」

「私もそう考えている」

「やっぱりあれでよかったんだ」

と、ライターとしての自分を振り返り、間違っていなかったことを確認できたことが本当によかった。


この本を読むことで「人生の答え合わせ」ができたような気がしたのだ。


特に「推敲」の章。

文章を書くのは、孤独な作業だ。それは、まるで深い海に潜るようなものだ。

でも、その漆黒の深い海の中で、「限界のもう1メートル先」まで潜らせてくれる命綱がある。

その命綱を、古賀氏は「自信」だという。


自分なら大丈夫、自分ならもっと先まで行ける、深淵のなにかに触れられる、という根拠なき自信だけが「限界のもう1メートル先」まで潜らせてくれるのだ。


この感覚が、人生で何度も味わってきたこの感覚が、こんなふうに的確な言葉になって伝わってくると、本当にもう感動でしかなかった。


そして、文章を「書き上げる」とはどういう状態なのか。

その答えを古賀氏はこう表現した。


原稿から「わたし」の跡が消えたときだ。

原稿を構成するすべてが「最初からこのかたちで存在していたとしか思えない文章」になったときだ。


そうか、そういうことなのかと思った。

私も、時間や労力は一切無視して、恐ろしいほどの時間をかけて推敲する。

何時間もかけて書いた部分を、がっつり削除して、一から書き直すこともある。

でも、どんなに苦労しても、泣きながら削っても、「最初からこのかたちで存在していたとしか思えない文章」になったときの喜びと充実感は言いようのないほど大きい。


あの感覚を味わいたくて、ライターをやっているのかもしれないと思うほどだ。


この本を読んで一番よかったのは、改めてライターという職業に誇りを持てたこと。

帯に「この一冊だけでいい。」とあるが、私のライターの教科書は、本当にこれだけでいい。


人生の答え合わせができた。


書くことがどんなに孤独な作業でも、自分の才能の無さに打ちのめされても、明日もまた書き続けようと、そう思えた。


こんな素晴らしい本を世に送ってくださった古賀氏に、心から、本当に心から、感謝をここで伝えたい。

ありがとうございました。


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