今からおよそ15年前。浅野日本酒店から歩いてすぐ、兎我野町の怪しげな風俗ビルの5階に一軒の飲み屋があった。カウンターだけのこじんまりした店だったが、出てくる料理は超一級。妖精のような尖がった耳を持つ、日本人離れした顔の小柄なマスターが一人で切り盛りしていた。私は一度で虜になり、足繁く通うようになった。 ため息が出るほど旨いお造り、調味料を一切使わない野菜の旨味だけの椀物、イチボを使った焼き立てのローストビーフ、かぶりついた瞬間に鼻に抜けていく香りだけで幸せになるピザ……。何もかもが「絶対に他では食べられない味」だった。
日本酒も美味しかった。注文すると棚にずらりと並んだ酒器から選ばせてくれるのだが、1個何万円もするような作家物や、李朝や宋の時代の骨董の磁器など素晴らしいものばかり。最初に訪れたとき、マスターは安物の半合グラス、陶器、磁器をカウンターに並べた。
まずは半合グラスにお酒を注ぐ。「これが基本の味」と。
それから同じお酒を他の酒器にも注ぎ、「飲んでみ、味が変わるから」と言う。
半信半疑で順番に口をつけて驚いた。
「違う!!」
同じ酒とは思えないほど、それぞれに味が異なった。「器によって、酒は味を変える」と知ったのはこの時だ。単に形状の話ではなく、同じ形の同じ作家が焼いた器でも、器が育つと酒の味に個性が出た。もちろん、味を損なうことなどなく、器によって引き出せる良い部分が違うだけなのだ。だから、私は家でお酒を飲む時、いろんな酒器で試す。そうすると、そのお酒のいろんな良さが見えてくる。
ちなみにこのお店は移転し、今は北新地にある。マスターは15年前と変わらず私を迎えてくれる。疲れた時、パワーが欲しい時に今も訪れる私のパワースポットだ。
※このコラムは、浅野日本酒店様からのご依頼で連載していたものに許可をいただき、加筆・修正して掲載しています。(連載:2016年1月)
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